2022年に公開され、2022年カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した映画『トライアングル』(原題:Triangle of Sadness)。日本では2023年2月23日に公開され、SNSや映画通の間で静かな話題を呼んだ作品です。
「これはコメディなのか?風刺なのか?それとも不条理劇なのか?」
そんな問いを観る者に突きつけながら、富と美の構造を痛烈に暴く異色のエンタメ映画です。
映画『トライアングル』基本情報
- 原題:Triangle of Sadness
- 監督・脚本:リューベン・オストルンド(『ザ・スクエア 思いやりの聖域』など)
- 公開年:2022年(日本公開:2023年2月)
- 上映時間:147分
- ジャンル:ブラックコメディ/風刺ドラマ
- 配給:ギャガ
あらすじ|豪華クルーズ船が、地獄の舞台に変わるまで
モデル業界でくすぶるカールとヤヤは、美貌を武器にSNSやセレブとの関係を生き抜いている若いカップル。そんな2人は、セレブリティ限定の豪華クルーズ旅行に招待される。
しかし、その船には世界中の資本家・成金たちが集まっていた。
やがて嵐が訪れ、船が転覆。生き残った人々は無人島に漂着するが、そこでは**“誰が金を持っているか”ではなく、“誰が魚を捕れるか”が支配を決める世界**だった…。
“頂点”から一気に転落した富裕層と、美貌で生きてきた者たち。
彼らは“生きる力”を持たないことに気づき、極限状態で価値観が崩壊していく。
見どころ1|“社会のピラミッド”を逆転させる構成が痛快
『トライアングル』というタイトルには、「顔の皺(三角ゾーン)」とともに、「社会構造の三角形(ヒエラルキー)」という意味が込められています。
- 金持ち vs 貧乏人
- 美男美女 vs 庶民
- SNSで“映える”人生 vs 実際に“生き抜く”力
この映画は、そうした価値の逆転を大胆に描くことで、「人間とは何か?」をあぶり出します。
映画後半の無人島シーンでは、船では地位が低かったトイレ掃除係の女性が、“生存スキル”によって支配者になるというアイロニカルな逆転劇が展開。観る者に強烈な皮肉を突きつけてきます。
見どころ2|“吐き気がするほど笑える”クルーズ地獄
特に印象的なのは、クルーズ船が嵐に巻き込まれる約20分間のカオスシーン。
セレブたちが高級料理を食べながら次々に嘔吐し、船内は地獄絵図に。ここは完全に**「ブラック・ユーモア+汚物映画」**の粋。観る人によっては不快かもしれませんが、それこそが本作の狙い。
美しく着飾った“上流階級”が崩壊していく様子は、資本主義やSNS映え社会に対する強烈な批評とも取れます。
キャスト情報|主演のチャールビ・ディーンの死が残す余韻
- チャールビ・ディーン(ヤヤ役):本作が遺作となった南アフリカ出身のモデル・女優。美貌と冷たさを絶妙に表現。
- ハリス・ディキンソン(カール役):男性モデルとしての「役割」と葛藤を見せる好演。
- ドリー・デ・レオン(アビゲイル役):後半の支配者となる掃除係の女性。彼女の変貌は本作最大の衝撃。
『トライアングル』はこんな人におすすめ!
- 資本主義や社会構造に興味がある人
- 『パラサイト 半地下の家族』のような風刺映画が好きな人
- ブラックコメディが好きな人
- 見終わった後に「うわ…」って余韻が残る映画が観たい人
- カンヌ受賞作やアート系映画に関心がある人
感想まとめ|『トライアングル』が映し出すのは、“皮肉”ではなく“人間の本性”
『トライアングル』は一見、ブラックユーモアと社会風刺を前面に押し出した挑戦的な映画に見えます。実際その通りです。ですが、それ以上にこの作品は、「人間とは何か?」という普遍的な問いを、過剰なまでに過激で、同時に非常にシンプルな状況設定によってあぶり出している作品です。
映画は3つの章で構成されています。モデル業界に生きる若者たちの葛藤を描く第1章、豪華客船でのセレブたちの腐敗と崩壊を描く第2章、そして無人島での支配構造の逆転を描く第3章。それぞれの章は、個別に観ても風刺として成り立っていますが、全体を通してみると、「人間の価値とは何か」という強烈な命題が通奏低音として響いているのがわかります。
クルーズ船という“富の象徴”が嵐で機能不全に陥る瞬間、人間は何を頼りに生きるのか?
SNSや美貌、ステータスといった資本主義の“勝ち組”たちは、自然の前では無力です。
そして漂着した無人島では、それまで船で最下層だった掃除係の女性が、唯一「火を起こし、魚を捌く」スキルを持っていたことで支配者へと転じる――その逆転劇があまりに鮮烈で、滑稽で、痛々しい。
けれど、そこにあるのは「意外性」ではなく、本質の露呈なのです。
この世界において、富も美もSNSのフォロワー数も、自然の中では何の役にも立ちません。
人間の「本当の価値」はどこにあるのか?という問いが、極限の状況下で皮肉にも明らかになる構造には、ただのエンタメを超えた説得力があります。
また、登場人物たちは誰ひとり“善人”でも“正義”でもありません。むしろ全員が少しずつ自分勝手で、自己保身的で、打算的。でも、それこそが人間のリアルです。だからこそ、彼らが失敗し、滑稽な行動を取るたびに、笑えると同時に自分自身の中にも同じ矛盾や弱さがあると気づかされます。
特に終盤、アビゲイル(掃除係)が“生殺与奪”の力を握ることで生まれる支配欲と葛藤。
かつての被支配者が、支配者になった瞬間に「過去の自分」と同じ構造を再生産してしまう様は、観客に強烈な皮肉を突きつけてきます。
これは資本主義の縮図であると同時に、人間の本能が持つ「支配と依存の欲求」を描いた恐ろしい寓話でもあるのです。
本作のもうひとつの切なさは、主演チャールビ・ディーンの急逝(2022年)にあります。
本作ではクールで野心的なモデル・ヤヤを演じ、作中でも“見られる側”として生きていた彼女。その存在が、リアルとフィクションをまたいで深い余韻を残しています。
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